西遼(せいりょう、カラ・キタイ)は、1132年から1211年までトルキスタンに存在した国の中国史料での呼び名。1125年に、金に滅ぼされた遼の皇族である耶律大石が西に逃れて建てたのでこう呼ばれる。イスラーム史料からは「カラ・キタイ」と呼ばれる。黒い契丹の意味とされるが、別説もあり詳細は不明。天山山脈の南北のシルクロードルートを押さえ、中継貿易で栄えた。首都はフスオルド(現在のキルギスタントクモクの付近)。
英語: Kara-Khitan Khanate