立原 翠軒(たちはら すいけん、延享元年(1744年) - 文政6年3月4日(1823年4月14日))は江戸時代中期~後期の水戸藩士。学者として5代藩主徳川宗翰、6代治保の2代にわたって仕える。通称は甚五郎。諱は万。字は伯時。号は東里。致仕後に翠軒と号する。父は水戸藩彰考館管庫・立原蘭渓(甚蔵)。嫡男は水戸藩士、南画家の立原杏所、孫には幕末の志士・立原朴次郎、子孫には大正時代の詩人、建築家・立原道造がいる。