ラーマ4世

意味・説明・定義・用語集

ラーマ4世

百科事典から

ラーマ4世タイ王国の現王朝チャクリー王朝の4代目王。本名チョームクラオ王。幼名をモンクットと言うため、外国ではモンクット王が名前としてよく使われる。ただし、ラーマ6世の本名にもモンクットと言う語が登場するため注意を要する。元々は兄のラーマ3世よりも彼の方に王位継承権があったが、学業専念のために兄に王位を譲り、学問を続けた。即位までの27年間は寺に属し、経文の言語であるパーリ語サンスクリット語をマスターした。その中でタイの仏教のあり方に疑問を感じていた。
その後、キリスト教宣教師の手を借りて、英語ラテン語を学び、ルネサンスを通じて教義が合理化されたキリスト教にふれ、新時代の宗教は合理化されたものでなければならないと感じ、俗信を排除した仏教を建てた。このとき建てられた革新派の仏教集団をタマユットニカーイと言う。ラームカムヘーン大王碑文を発見した人でもある。
即位後は、西洋との関係を重視し、イギリスからアンナ・レオノーウェンズ女史(Mrs. Anna Leonowens)を家庭教師に招き入れ、西洋の教育を師弟に行った。このときのことは『アンナとシャム王モンクット』に書かれているが、嘘が多いので信用しない方がよいと言われる。後に『王様と私』で劇作化、『アンナと王様』で映画化されたがいずれもタイでは上映が禁止されている。西洋と自由貿易を開始し、を輸出するようになった。このためタイの中央平原部に運河が多く建設され、米の増産がはかられた。今でも米はタイの大きな輸出品目である。外国人の便宜を図るため、ニューロードを建設したりもした。この王は62人もの子を残したと言われる。

英語: Mongkut

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